Craft dip Episode0 「ゴッホと群青」
Craft dip Episode0
クラフトディップ開発経緯 「ゴッホと群青」
ゴッホと初めて対面した作品は、
オルセー美術館の「ローヌ川の星月夜」だったと思う。
25歳になった頃。
仕事が切りかわるタイミングで
「フランス料理を続けるなら文化を知りたい!」
と意気込み、1週間の弾丸貧乏旅を計画した。
真冬にパリ中の美術館をむさぼる様に廻った。
ホテルの晩酌がパンとチーズと安ワインでも
歩き疲れた体にはごちそうだった。
もちろんゴッホの「ひまわり」くらいは知っていたけれど、
本物の作品に対面したのは初めてだった。
その時の衝撃は今でも記憶に残っている。
静かな川辺の夜にこぼれ落ちそうな光の輝きを
圧倒的な熱量で「立体的」に表現されていた。
彼の命を削って、感じたままを描いた
「光」と「青」がそこにあった。
青を使う絵画はたくさんあるけれど青の表現(絵の具)の中に
フェルメールブルーというのがある。
「真珠の耳飾りの少女」に代表するこの色は
顔料にラピスラズリ(和名:群青)という高価な石が使われている。
フェルメールは裕福だったので、高価な石だけが持ち合わせる
高貴な発色を自在に研究し、表現できたのだろう。
ゴッホは貧困に喘いだ中にあっても、青を表現する。
制限された「青」の中でも、
必死で自分にしかできない「群青」の表現を探した。
浮世絵などから影響を受けた厚塗りの筆使いは
絵画を平面芸術から立体表現へと昇華させていく。
それでも、
ゴッホは生前画家として評価されることはなかったという。
「本当に」好きな事と向き合う事、続ける事
自分を知るほどに「才能」を探し続ける苦しさも、
怖さを知ることになる。
アラフォーにもなると「向き合う怖さ」を痛感する。
賢くなるし、妥協やバランスも欲しくなる。
あの時会った「ローヌ川の星月夜」はゴッホの希望と探究心。
そして、覚悟を今に問いかける。
限られた中で自分の「群青」を探し続ける事。
怖い事だけど、
本当にやりたい事なんてその先にしかない事をゴッホは語りかけてくる。
フェルメールにはなれないけれど、ゴッホのように表現したいと思った。
23年、料理の道に携わっている。
料理の中に自己表現の場所を探した。
パンに塗るだけのバターに余白と表現の余地を感じた。
テーブルの上に広がる日常に今まで得た経験も知識も想像力も立体的に表現する。
「クラフトディップ」は私なりの「群青」です。
BGM :「群青」YOASOBI
Craft dip Episode1 「答えはどっちも」
Episode1
クラフトディップ開発経緯
「答えはどっちも」
Craft dip 3nowa
(クラフトディップサンノワ)
は手作りの立体的に表現した
ディップソース「Craft dip」
の楽しみ方を体験して頂くための
クラフトディップ専門店です。
2021年6月・・・
店舗の内装を9割を自分で
手作り(クラフト)すると言い張り。
内装業者の職人さんには、
20坪を素人が一人でやるなんて・・・。
「バカか?無謀か?のどっちかだ!」
といわれましたが・・・。
”答えはどっちも”だと思います。
それでも、ほぼひとりで、何度も作り直しては、
心折れながらも昼夜、挑戦し続けて
営業許可も消防検査も“どっちも”クリアして
約3ヶ月でプレオープンを迎える事ができました。
3nowaのクラフト(手作り)は内装工事から始まりました。
追伸
お客様から「器用ですね」と言って頂きます。
確かに手先は器用なのかも知れません。
「予算が少ない」・「自分の描いた高品質な店舗」
“どっちも”思い通りに作るには自作
という選択肢しかなかったのです。
内装職人さんの「高い技術」を安くお願いするなんて
同じ職人として気が引けてしまい・・・。
そうゆうところ。
器用じゃないんだなと痛感しました。
Craft dip Episode2 「蜘蛛の巣と路線図」
「雪迎え」 ・・・2021.11.24
東京には冬でも雪が降らない。
天気予報は雨なのに。乾いた空気の中、
地下鉄に乗って通勤する。
初めて一人で東京に来たのは、「二十歳」になってからだった。
就職した軽井沢は冬場になると仕事がなくなるため、
本社のある東京に1ヶ月間、飛ばされる。
初めて出た「丸の内線・四谷三丁目」は新宿の隣にあって昼夜、
救急車のサイレンが響いていた。
近くにある寮は、ほこりっぽい匂いとシミだらけの床、
下駄箱の蜘蛛の巣は、夢見た東京とは違う気がした。
出張先の仕事は、深夜2時に出勤して、
パン屋さんの開店前に惣菜を作り、並べる仕事だった。
昼には仕事を終えて、コンビニで夕食を買って
「いいとも」と「牡丹とバラ」を見て
就寝に着くような昼夜逆転の生活だった。
それでも、ハタチの目に映る東京は新鮮で刺激的だった。
次第に終電を逃し走って出勤しては、
立ったまま寝てしまうくらい遊びまわっては
東京の魅力に呑まれて行った。
3年後、雪迎えのごとく、
新天地を求め細い糸を伝う様に上京を決めた。
はじめは山手線の内回りと外回りに混乱した。
新宿駅は目的の出口を求めて迷子になり、
渋谷は乗換の→(矢印)に翻弄される「迷宮」だった。
それでも複雑な路線図も19年かかり
地名も駅もだいたいわかるようになった。
夜桜に浮かれた「日比谷線中目黒」も
終電を寝過ごし途方に暮れた「大江戸線光が丘」も
霞に浮かぶ「三田線芝公園」からの肩越しの東京タワーも
幼い手を引いた「銀座線上野」も
好きな人に出会うたびに知らない路線や
知らない街に詳しくなった。
日比谷線小伝馬町駅の改札を抜け、3番出口に向かう。
不意に光の粒が浮かんで揺れている。
「雨上がりの蜘蛛の巣」に水滴が輝いている。
網の目の東京路線図と重なる。
あの日の思い出が輝いて見えた。
好奇心と憧れを放り投げて上京し荒波に翻弄されながらも、
いつのまにか東京が好きになっていた。
雨は通り過ぎたようだ。
空には、晴れ間も見える。
電車到着の風圧が背中を押す。
まだ、 先は見通せないこんな時期だけど、
さあ、先に進もう。
新しい街にどんな皿を描こうか。
——————————-
牡蠣のリゾット 自家製切干根菜添え
この一皿は、3nowaの入るメトロシティ小伝馬町の貸主
「メトロ都市開発」様へのオマージュの一皿です。
自家製の切干根菜で地下茎のリゾーム(地下鉄)を
表現致しました。
牡蠣のコンフィにリゾット、
海藻バターで味を変化させながらお召し上がりください。
出店にご尽力頂きましたことを感謝いたします。
「雪迎え」は晩秋の小春日和の日に、
糸をつけた子蜘蛛が
巣立つためきらめく細い糸を伝い空に飛ぶ現象
Craft dip Episode3 「ベテルギウス」
夏のデザート
パプリカブリンとバジルのアイス
「ベテルギウス」
このパプリカのプリンとバジルのアイスクリームは、
初めて就職した軽井沢のレストランのルセット(レシピ)
を参考にして新たに構成させて頂きました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下 開発経緯
深夜、終電過ぎ。
仕事を片付けて、こぎ出すペダルは重く、自然と顎が上を向く。
東京の街中では、見上げても星は見えない。
霞む夜空にオリオン座の「ベテルギウス」を臨む。
「シェフ元気にしてるかな?」
「あの時に比べれば今の方が・・・。」
20年も前の記憶がよぎる。
「おまえっ!エサつくってんじゃねぇんだよっ!」
就職氷河期の真っ只中。
20才で、軽井沢のフレンチレストランに就職した。
繁忙期は毎日が戦場で、火傷と寝癖が増えていくのが日常だった。
毎日150人前以上の料理に追われて、
立ったまま賄いを口に放り込み20時間働いた。
それでも、仕事が雑になると怒号が飛んできた。
避暑地といえども厨房は常に40度を超えて体から水分をしぼりとられ補給するたび、全身から汗が噴き出した。
擦り切れた指は塩を振るたびによじれるような痛みが刺したのを今でも鮮明に記憶している。
屋根裏部屋にある寮の2段ベットはいつも男子部室の匂いが満ちていて、それでもふとんに倒れた瞬間には記憶が飛んでいた。
忙しさのピークを報せるアラームはいつも血便だった・・・。
疲れきった深夜、
ゴミ捨て場の裸電球と静寂の奥に
星空だけがきれいだったのは覚えてる。
繁忙期が落ち着いた頃、
シェフ(料理長)が澄んだ目でフランス料理の
歴史や文化を語ってくれた。
現地の風土や郷土料理。
感動できる料理が星の数ほどある事。
何十年、何百年続く料理の歴史を学べる喜びがある事。
パリの華やかなレストランの話や
フランスには「星付き」レストランがある事。
料理人が目指す場所がある事を目を輝かせて教えてくれた。
そして、常に料理に対して真摯な姿勢を示してくれた。
クソ不器用で、クソ生意気な私に、
何度も、何度も。
優しくも厳しく料理の素晴らしさを伝えてくれた。
当時のシェフの年齢を越して、
当時の自分の年齢のスタッフを迎えてはじめて
シェフの偉大さを知った。
呑み込んだ言葉も・・・
伝えた情熱も・・・
食材への敬意も・・・
成長への祈りも。
当時は何一つ受け取らず、
手を払い、ろくに感謝もせず。
愛されていた事も知る事なく。
それでも、今もこの仕事を続けていられるのは、
あの時シェフにかけられた言葉が胸にあるからです。
遥か遠いベテルギウスを追いかけて。
同じ空の下、
いつか、自分の店が星のように輝けるように。
挫けそうになるたび、よぎる言葉に背筋を伸ばす。
真摯に向き合う眼差しが浮かぶ。
“追える背中”を持てた事を今でも誇りに思います。
村山シェフ、今では、感謝しかありません。
♪ベテルギウス 優里
Craft dip Episode4 「卵焼きとパブロフ」
ランチプレートにオムレツがのる理由
「卵焼きとパブロフ」
私の両親は共働きだった。
30年ほど前、今ほど女性の社会進出も少なく制度も整っていなかった時代。
苦労は今より多かったと思う。
母は、できるだけ手作りの料理を作ってくれた。
毎日、仕事を終えて疲れて帰ってくるなりはじまる兄弟の「ハラヘッター!」の合唱に追われながら支度をしていた。
ある時、(仕事が忙しかっただろう。)合唱に腹を据えかねて
「これからの男は料理くらい作れなきゃダメだ!」
と、私に卵焼きの作り方を教えてくれた。
砂糖を3杯も入れる田舎風の甘い卵焼きだった。
ある母の繁忙期、卵焼きを作った事があった。
母は、本当に嬉しそうに食べてくれた。
その時、与えられた「卵焼きの天才」の称号が途方もなく嬉しかった。
現実を知る度に「天才の称号」は消え失せたし・・・
洋食を志して卵焼きは焼かなくなってしまったけど・・・
その時の喜びや嬉しさは今もこの手が覚えていて、
今でも毎日オムレツを巻いています。
母は料理が人を喜ばす術と教えてくれた。
今も無意識にあの喜びを追っています。
下積みロンダリング 01 「氷山とスカイツリー」
下積みロンダリング 01
「氷山とスカイツリー」
深夜、帰途の見上げる空に
ぼんやり浮かぶ墨田区のシンボルは、
街を照らしながら誇り高くそびえる。
東京で一番高い場所から常に最新の電波を発信し続けている。
卒業後、レストランで初めて配属されたのは、デザート場だった。
フレンチでは、アイスクリームをクネル(ラグビーボール型)に盛り付ける。
アイスの温度管理と巧みなスプーン捌きが美しい曲線を演出する。
軽井沢の5月。
ゴールデンウィークは試練の連続だった。
暑い厨房の中、アイスクリームの温度管理は極めて困難で、
稚拙な技術では、あっという間にアイスは液体へと戻っていく。
毎日、泣きそうになりながら、クネルを練習した。
それでも、睡眠不足とプレッシャーの中でスプーンを持つ手は震えた。
若い時。シェフから
「皿の上にのる”モノ“は氷山の一角だ!」
と伝えられた。
年を重ねる毎に共感する。
氷山の表に出ている部分は全体の1/7らしい。
積み重なる料理の「歴史」も
繰り返し刷り込んだ「技術」も
文字通り叩き込まれた「経験」も
眠い目を擦って得た「知識」も
時間をかけ、コストをかけて
本や実践で培った。
それでも現代は便利になったなとおもう。
Siriはあらゆる質問に答えてくれるし。
Googleは現在地と行き先をおしえてくれる。
YouTubeは簡単に技術を目で盗める。
飲食店は口コミだけでの価値を評価される。
日本一高いスカイツリーの「基礎」はなんと50m
最新の「ナックル・ウォール工法」で
突起の付いた杭と壁で634Mの巨体を支えている。
技術の進歩によってあらゆる「情報」につながれる時代に
「基礎」は12分1まで短縮されたらしい。
令和には「下積み」は死語になるんだろうなー。
それでも、日本橋のお客様は何を得て来たのかを、言葉にしなくても気付いてくださる事が多いようです。
苦労した経験はそっと胸ポケットにしまっておこう。
いつか大きく胸を張れるように。
#スカイツリー
#氷山
#胸ポケットパンパン
#ほぼ巨乳
#Craftdip3nowa
#クラフトディップサンノワ
#下積みロンダリング
#たゆたえども沈まず
ロゴについて